厨ポケ(秘伝要員として)

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小説 5作品

 小説を多少読むのですが、身近に話せる人がいないので一方的に発散しようと思い、書きました。読んでください。全く学問的背景のない感想です。読みやすいと思った順に並べています。

 

 

タタール人の砂漠』/ディーノ・ブッツァーティ

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 特別な時間を過ごしたい、自分の才能を活かしたい、そのような思いをだらだらと抱えているうちに、気が付けば取り返しのつかなくなっている。”理想の自分像”を描きながら、無意識のうちに退屈な現実に適応していく様子が寓話的に語られる作品である。突飛な設定なのに、つい自身の状況と重ねあわせて考えてしまい、悲愴な状況にありながらも不安な気持ちに苛まれていく。小説のラストは寂寥感がはなはだしく、儚く、もの悲しい後味を残す。

 

 

巨匠とマルガリータ』/ミハエル・ブルガーコフ

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 裏と表のある物事に、表のみを求めるのは人間の性であろうと思います。ロシアの街に現れた悪魔が奇想天外な出来事を起こし、世間を混乱の渦に巻き込んでいく。その裏で語られる、「巨匠」の描くイエスの物語と現実の不思議な交差。透明になって箒で空を飛んでいく「マルガリータ」。ロシア文学には何となく暗い雰囲気あり、舞台もスターリン統治下のモスクワであるが、そんなことを感じさせないポップさと奇想さに溢れていて、面白おかしく読める。その中に、抑圧からの解放を求める作者の想いや、独裁者への批判も感じられる内容となっている。

 

 

『息のブランコ』/ヘルタ・ミュラー

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 詩的な文章の中で戦争により分断される関係と、新たに作られる関係が語られる。ルーマニア在住のドイツ人たちが、第二次世界大戦のまさに終盤というところで、ソ連によって収容所へと移送される。収容所にあるのは一貫した「ひもじさ」であり、仲間の死や境遇への怒り等は「悲惨さ」としては描かれない。しかし、「ひもじさ」はしっかりと主人公の人生に影を落としていく。果ての見えない収容所生活の淡々とした記述。生き延び帰郷しても、どこかぎこちない家族との関係。喪失感。息苦しい、生きることへの閉塞感が静かな怒りを伴って伝わってくる作品。

 

 

『逃亡派』/オルガ・トカルチュク

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 「移動」をテーマに、ミクロな目線からマクロな目線へ、幅広い断章が116本連ねられている。その断章も、小説の体を成しているものからエッセイ風のものまで文体も幅広い。幅広い題材を並列し、同列に扱うことで、根底にある「移動」というものの普遍性が表されている。それぞれの断章については、芳醇な比喩表現や言葉遊びを用いて、細々と、淡々と書き連ねられており、水に浮いているようなふわふわとした心地よさを感じることができる。輪郭のぼやけたそれぞれの断章が、完全には溶け合わず、緩やかにつながっていく。スケールの大きさとその文体に読み進めるのが難しいが、読了した後には、静かに、確かに自分のなかに残る糧となるような作品である。

 

 

『農耕詩』/クロード・シモン

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 フランス革命中の国民公会で何やらなされている議論、スペイン市民戦争中のアラゴン地方と思える戦場、第2次世界大戦中のバルセロナと思えるある市街地、それら3つを時代的・地理的背景として、それぞれの場所、時代に居る3人の「彼」の、決して劇的とはいえない体験が、これ以上ないほど鮮明に語られる。

 相互に関連しない登場人物、時間が並列し、一文の中に混在して描かれる。何を形成することもなく、ただ、そこにある出来事、あった出来事が客観的に、緻密に語られていく。その、関連しない相互の話の中であっても、変わらない人の営みや感情の表現は、偉大なものとして胸の中に残っていく。まさにリアリズム小説の粋であり、これを私小説として読むと、読み終えた際に、どうしようもなく儚く、切ない気持ちにさせられる。記述すること自体が「小説」として表れている、そんな作品である。

 

 

 

おわり

 近頃は、どのような本が売れているのでしょうか。

 

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↑みてみました。小説というジャンル自体、弱いのだと感じる結果となります。映画やYouTubeはそれを見ながら他のことができますし、漫画であれば、イラストで分かりやすく、瞬時に状況が頭に入ってきます。それに比べて、小説というのは、それを読んでいる間には全く他のことができないです。映画でも倍速で視聴されてしまう時代、せかせかと、”効率的”な方々にはやはり、受け入れられないものだと思います。内容がほとんどないようなビジネス書でも、更にそれを「要約」している動画がアップロードされている現状、文字を読むのは、マルチタスクに適さない非効率な手段として排斥されていくのでしょう。

 小説を読んでいるのは、面白い物語を求めている部分もありますが、一種の義務感にかられるところもあります。初めは「『罪と罰』って聞いたことはあるけど、読んでいないのは恥ずかしいな」というようなところから始まったわけです。それまでにも、アニメなどについて、面白いだのつまらないだのと偉そうに言うことがあったわけですが、「ドストエフスキーのような”名の知れた”作家の作品すら読んでいない自分の感じている「面白さ」は、根拠に欠けるな」と思ったのです。

 困ったことに、作家の名前を知れば知るほど、”名の知れた”作家の幅が広がっていくわけで、終わりが見えなくなりました。実際、今回挙げた作品の作家は、ノーベル文学賞受賞者が3人いますが、3年前には全く知りませんでした。それでも、ノーベル文学賞というのは国際的な賞であって、その受賞者は”名が知れている”わけですし、「読まねば」と思うわけです。もちろん、ノーベル賞以外にも国際的な賞は沢山あり、賞ができる前の作家にも読むべき作家はいて、果てしなき旅といった感じです。

 そうして、まだまだ量が足りていないと感じていますが、ここ最近はなんだかんだ、殆ど毎日小説を読むような日々を過ごしてきたわけです。そんな中で、今回選んだ5冊(特に後半3冊)は、「小説という媒体だからこそ良い」と感じた作品を選びました。また、一応薦めている体なので、まだ絶版になっておらず、入手しやすい作品にしました。せかせかと急ぐのでなく、自分のペースで読めることも読書の特徴だと思うので、”非効率的”な人は是非ゆっくりと読んでください。

 

 今年はフランス文学を読もうと思っています。しかし、かなりきついです。読むのにひどく疲れるし、時間もかかります。しんどいですね。