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麻枝准『猫狩り族の長』感想 ——才能の使い方

あまり内容に関わる大きなネタバレはしていませんが、気になる人はこの記事を読まないでください。

 

 

読む前

 著者の「麻枝 准」という人物は、シナリオライターや作曲家としての知名度が高いのではないでしょうか。ゲームブランド「key」では、『AIR』、『CLANNAD』、『リトルバスターズ!』など、多数のヒット作の企画、脚本、音楽作成を手掛けています。アニメ化などのメディアミックスを果たした作品も多くあり、そのシナリオは、読み手を感動させる「泣きゲー」として定評があります。また、オリジナルアニメ作品にも関わっており、最近だと、2020年に『神様になった日』という作品の、こちらも脚本から音楽作成まで携わっています。「泣きゲー」のシナリオに定評のある麻枝氏ですが、『神様になった日』は爆笑必至のギャグアニメで、作風の広さを感じさせてくれます。

 そんな麻枝氏が、小説を書きました。ご存じでしょうか。


key.visualarts.gr.jp

『猫狩り族の長』というタイトルです。発売前から重版が決定しており(?)、話題性のある、期待されていた作品です。

 そんな『猫狩り族の長』という作品を、たまたま本屋で見つけました。麻枝氏が小説を書いていることは知っていたのですが、もう発売されていたとは知らなかったので、買ってしまいました。

 この帯の文が期待させてくれます。「初めて本当に思っていることを書きました。」とのことです。私自身は、麻枝氏の脚本である『神様になった日』を観た後、「こいつの才能は枯れたんだな。」と思っていたので、このような気概を表明されると、わくわくしてしまいました。気づいたらこの本を手に取ってレジに持って行っていました。この本を買ったせいで、本来購入しようと思っていた本を買うことができなくなってしまったのですが、麻枝氏の「本当」を確かめられるなら安いものだと思いました。

 

内容

あらすじ

海辺で出会った彼女は、美しく饒舌で世界で誰よりも—— 死にたかった。

猫が戯れるのを眺めていた時椿は、断崖絶壁に立つ女性に声をかける。
飛び降りようとする黒髪の美女・十郎丸は、多くのヒット曲をてがける作曲家だった。
彼女は予想に反して、雄弁で自信に満ちた口調で死にたい理由を語ってのける。
人生で初めて出会った才能豊かな人間が堂々と死のうとしている事実に混乱する時椿。
なんとかその日は翻意させ、下宿に連れて帰ることとなる。

なぜか猫に嫌われる死にたい天才作曲家と、何も持たない大学生。
分かりあえない二人の、分かりあえない6日間が、始まった。

『猫狩り族の長』公式ホームページ より)

 

 

 あらすじは↑を読んでもらえればわかると思います。名前の出てくる登場人物は4人くらいいて、その中で重要なのは2人。あらすじにも名前の出ている、「時 椿(とき つばき)」と、「十郎丸(じゅうろうまる)」です。この2人が6日間共同生活をすることになり、その生活の中でお互いのことを理解しあっていく......みたいな内容です。

 

キャラについて

 覚えて意味のあるキャラは上記の2人くらいしかいないので、その2人について語ります。

・時 椿(とき つばき)

 「平凡」であることを自認する女子大生という設定です。作中にも描かれていますが、周囲との諍いを避けて、常に周りに流されており、ポピュリズムの権化であるとも言えますね。

・十郎丸(じゅうろうまる)

 才能のある作曲家で、容姿端麗・頭脳明晰。仕事の方もある程度の成功はしているようですが、自分は幸せになれないと嘆いています。この作品では、マイノリティが故の弱者として描かれる側面が強いのではないでしょうか。人よりも周りのものごとがゆっくりと感じる(同じ時間を人よりも3倍長く感じる)という特殊能力があります。女性。

 

 

よかったところ

・テーマ

 十郎丸は、職業にもそれなりに成功していて、容姿端麗・頭脳明晰ということにもある程度自覚的です。それであっても、自殺を選ぼうとしています。その衝動は、この世の生きづらさです。椿というキャラクターは、凡人として描かれていて、本人もそれに自覚的です。十郎丸は、椿からみれば、「自分にはない才能を持っていて、うらやましい」という羨望の的として描かれているところもあります。しかし、才能のある人間にはその次元の悩みがあり、それは、凡人には理解できないことなのです。実際に、椿は初め、十郎丸の苦悩にただ月並みな返答しかできていません。それは、解らないからです。才能があることによる苦悩、育ちが良いことによる苦悩、その他諸々の、他人には共感されない苦悩は、実は、誰しも1つくらいは持っているのではないでしょうか。他人に受け入れられて、楽しい日々を過ごすためには、ある程度の努力は必要です。しかし、十文字は、幸福に過ごすための努力は欠かしていません。あらゆる努力をしてきた結果、この世は自分にとっておかしなものだと気づいたのです。ただ、やはり、それでも人は、共感してほしいのではないか、受け入れてほしいのではないかと思います。十郎丸は、生きづらいこの世を捨てて死後の世界に楽しさを見出した方が良いと考えながらも、椿と出会って自殺を先延ばしにします。大衆の象徴であるSNSを罵倒しながらも、自身もどっぷり浸かっていることなど、表面上はペシミストを装いながらも、十郎丸の矛盾した言動はちらほらを見受けられます。そういった、生きづらさと、苦悩から目を背けるための矛盾を孕んだ自己の正当化というテーマは良かったと思います。

 

・デザイナーズサイト

 カッコいい。

 

悪かったところ

・雑な哲学要素

 序盤で、椿の祖父が「哲学の本が好き」という情報が提供されました。作中にも、カントやキルケゴールなどを思わせるような記述が散見されたので、そういった思想をテーマにしているのかと思いながら読み進めていきました。そうすると、終盤に差し掛かったところで、椿と祖父が電話で話すシーンがあるのですが、そこで、椿は十郎丸のこれまでの言動を説明します。すると祖父が、椿から説明された十郎丸の言動に対して、「弁証法ヘーゲルやないか」とか「死に至る病。完全にキルケゴールやないか」とか、取ってつけたように哲学者を当てはめ始める謎のパートが3頁にわたって続きます。しかも、この3頁にほとんど意味はありません。『神様になった日』といい、クッソくだらないパートをひねりだしてこじつけようとするくらいならない方がましだと思いました。この激寒パートがなければもう少し評価していたと思います。

 

・中盤の演出

 人生に絶望している十郎丸ですが、椿の大学の同級生から、「J-POPはあまり聴かない。普段はジャズを聴く」と言われます。そこで、J-POPを作曲している十郎丸は怒ってしまいます。その後、椿と一緒にジャズを聴きにいきます。作曲家でありますが、ジャズをほとんど聴いたことのなく、J-POPしか作れない十郎丸。ジャズを聴いてみると、その迫力と重厚感に圧倒され、感銘を受け、自らも、ジャズの作曲を始めてみようか......というような前向きな意見をこぼすまでになります。

 という内容の話が中盤にあるのですが、チープな印象を受けました。ジャズに対していい印象を持っていないままに聴いているはずの十郎丸が、すんなり受け入れて、演奏後にはジャズを絶賛し始めています。結構大切なシーンだったと思うのですが、あまり演奏パートに臨場感がなく、「十郎丸の価値観の形成ために作られた」という舞台装置っぽさが見えてくるようで、あまり良くなかったです。

 また、別の場面では、十郎丸が今にも夢に見るという、小学校で同級生だった相手に会いに行くということになります。その際、SNSで名前を入れたら住所が見つかったということでした。家に向かって、いざ会ってみると、その相手は、「冴えないおじさん」というような見た目で、小学生に上がる前の息子もいるということでした。椿の「小学校の頃に同級生で、会いに来た。」という説明に、「息子はまだ小学校に上がる前だけど。」という返答がなされます。その相手は、自分の小学校の同級生が訪ねてきたとは思いませんでした。その後、「私たちは未来から来て、未来であなたの息子と友人になる」ということにして誤魔化し、二人は立ち去ります。

 あっさり相手の住所が見つかって、会いに行こうとできるのは急な展開ではありますが、まだ納得のできる範囲でした。問題は、「未来から来て、未来の息子の友人である」という素っ頓狂な受け答えに対して、あろうことか、相手が、何も突っ込みをはさまず、いきなり現れた不審者2人相手に会話を続けるというところです。作中では、「本気にはしていないだろうが、話には乗ってくれている。」とありますが、そういうレベルの話ではない気がします。

 

・「時 椿」のキャラ付け

 このキャラには、十郎丸の言動に突っ込みを入れるときに、「天を仰いで、両手を挙げながら叫ぶ」という癖があります。

 

「どんだけ〇〇なんだー!!」

「天になにかあるのか?」

「だから癖です!!」

 

という内容の会話が頻出します。これだけ使われているのだから、終盤、何かに活きてくるのだろうと思っていましたが、自分の読んだ限りでは特にそんなことはなかったです。単なるキャラ付けに過ぎないのであれば、冗長すぎるかなと思います。ビジュアルノベルのキャラ付けの癖が残っているのかもしれないけれど、立ち絵がなく、文章だけでこの意味のないノリを頻出させられると、堪えます。

 

・ラスト

 これは、良くも悪くも”麻枝っぽい”感じでした。『kanon』から同じような展開使いすぎではないでしょうか。

 

 

読んだ後

 小説としては「中の中」くらいなのかなと思います。本当にこれが書きたかったことなのだとしたら、首の皮一枚といったところだと思いました。テーマ性を考えるのはまだまだいけると思うので、ゲームには企画で参加してもらいたいです。『神様になった日』でも感じましたが、伏線やキャラの描き方が下手だと感じます。麻枝氏が20代で書いた作品は、若さと熱量で何とかなったものもあるかもしれませんが、今はそれが欠けてしまった分、他のなにかで埋めてほしいと感じます。次回作に期待します......というのは、『Charllotte』から言い続けているのですが、どうでしょうか。